教会めぐり世界一周の旅

旅上で心癒された美しい教会を紹介

リトアニア編#3 ヴィリニュス

夜明けの門。

美しい名前そのままの、白と水色のうつくしい城門。


門の上部、10人も入ればいっぱいになる小部屋には聖母マリアの黄金の古いイコンが飾られ、多くの人がひざまづいて祈っている。通りに向かってバルコニーのように開かれ、通りから祈る人もいる。


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正式名称をマーテルミゼリコルディアという。

慈悲の聖母という名のこのイコンには、今でも奇跡を起こす力があるらしい。

毎日ミサも行われ、私が行った際には、マザーテレサの白地に青ラインのサリーで知られる神の愛の宣教師会のシスターたちが集まってた。


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リトアニア編#2 ヴィリニュス

メインストリートから東に細い路地を入ると見えるのがこちら。


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名称: 聖アンナ教会 

宗派: カトリック

場所: Vilnius, Lithuania


15世紀末に建てられた、レンガ造りのゴシック建築。

炎のようと言われる外観には、33種のレンガが使われているとか。

内装も暗めかつ金を多用したコテコテのゴシック。ちょうどミサが行われていて撮影はできなかった。


右奥にあるのは聖ベルナルディンという別の教会。隣接しすぎ!


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外に出るとのどかな小川が流れる平和な一角である。


※写真転載厳禁



リトアニア編 #1 ヴィリニュス

久しぶりの海外の教会はバルトの森、リトアニアから。


世界遺産に登録されている首都ヴィリニュスの旧市街。メインストリートはこの大聖堂から南にのびる。


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名称: ヴィリニュス大聖堂 Arkikatedra Bazilika

宗派: カトリック

場所: Vilnius, Lithuania


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ソ連と西欧の間で翻弄された東欧の小国、バルト三国で唯一のカトリック国。

ギリシャ神殿ばりの威風堂々としたこちらのカテドラルは18世紀のもの。

白い漆喰、黄金の十字架、数えきれないほどの聖人像は圧巻。


独立からまだ29年。一歩旧市街を出るとコミュニスト占領下にやられた寂れた建物が多く残るけど、旧市街に入ると長い歴史と信仰に支えられたリトアニア人のプライドを感じる。


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日本編#55 島根県

 

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山陰の小京都、津和野。

うつくしいうつくしい、小さな城下町。

森鴎外、西周など、明治の知識人を生んだ文化的な町。

鯉が泳ぎ松が繁る雅な街道筋に、津和野教会が建つ。

 

名称:津和野カトリック教会

宗派:カトリック

場所:島根県鹿足郡津和野町

 

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1929年に建てられた聖堂内中は土足禁止の畳敷き。期待通り。

幼稚園を併設し、観光客も行きかうこの教会。一見、なんの変哲もない地方の教会に見える。

が、キリシタンの歴史においてとてつもなく重要な巡礼地なのである。

津和野教会から1.5キロほど山に向かって進むと、「浦上四番崩れ」の舞台となった乙女峠に辿りつく。

明治の初め、長崎・浦上から流刑になった100人以上のキリシタンがここで拷問を受け、子どもを含む37人が殉教した。その様子は諸外国に伝わり、今日の日本では当たり前のようになった憲法で保障されている基本的人権、信教の自由を政府が認めることになったきっかけの事件である。詳しくはこちら↓

http://www.hiroshima-diocese.net/2019/03/18/post-1067/

 

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5月3日には乙女峠まつりと呼ばれる、祈りながら聖母像を乙女峠まで運ぶ巡礼が行われる。今年で68回目だとか。

 

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晴天の下1800人が参列した今年の野外ミサでは、この37人の殉教者「津和野の証し人」を列福してほしいという正式な調査開始がヴァチカン大使の同席のもと宣言された。

 

キリスト教の信者でなくても、ぜひ行ってみてほしい歴史スポット。

 

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日本編 #54 東京都

通称、ニコライ大聖堂。


高層ビルがそびえる東京御茶ノ水の景観に、独特かつ圧倒的な存在感を放つロシア正教(日本正教会)の主教座。


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名称: 東京復活大聖堂

宗派:  日本正教会

場所: 東京都千代田区


歴史は明治時代に遡る。1891年に初代聖堂がロシア人建築士によって設計された。関東大震災による損壊、再建を経て、現在の聖堂は国の重要文化財。


偶然、礼拝の時間に居合わせた。

金色の細工とイコンが美しいビザンチン様式の聖堂内部は、キャンドルの灯と高いドーム型天井のステンドガラスから差し込む陽光に満ちていた。

我らこそオーソドックスクリスチャンを謳うロシア風女性信者は、今でもスカーフを被って礼拝にあずかっている。

内部は撮影禁止。


昨年訪問した函館の聖堂と同じ、聖ニコライに依拠した教会。

http://wolfy.hatenablog.com/entry/2018/08/10/225132



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日本編#53 静岡県

しばらくカトリック教会ばかり続いたので、プロテスタント教会の紹介もしよう。

 

比べることはできないが、プロテスタント教会は社会に根付いた事業を行っているケースが多いように思う。

聖隷福祉事業団もそのひとつ。

日本で初めてホスピス事業を展開し、今や日本全国で、そしてブラジル等海外でも病院や老人ホームを展開している社会福祉法人。その本拠地が、静岡県浜松市にある。

 

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名称:遠州栄光教会(三方原会堂)

宗派:日本基督教団

場所:静岡県浜松市

 

隣に聖隷クリストファー病院。5分歩けば大学、高校、中学、幼稚園。まさにこの一角は聖隷村。

 

1930年ごろ、浜松市から相当北に離れたこの地に結核患者のための療養所が建てられたのが始まり。近年二つの教会が統合されて、今の遠州栄光教会になったとか。

社会から隔離され差別された弱き人々に仕えようという、正しき信仰者の実践の場。

 

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日本編#52 高知県

本土へ戻って。

沖縄からの温かい空気を引きずって、やってきたのは本土の南国、高知県高知市。

ぬけるような青空に加え街路樹がヤシの木なところ、沖縄に引けを取らない南島感。

 

県庁や市役所、高知城からなどの中心地からほど近い立地に建つこの教会。

 

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名称:カトリック中島町教会

宗派:カトリック

場所:高知県高知市

 

母体修道会はオブレート会。

歴史は古く、最初の聖堂が建てられたのは明治の半ば、1888年らしい。

 

聖堂内はシンプルに保たれ、ふんだんに明るい陽光を取り入れるステンドグラスが素敵。

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日本編#51 沖縄県

さらに南へ南へ。たどり着いたのは石垣島。

空港からレンタカーで、背の高いサトウキビ畑の合間をぬってたどり着いたのは石垣教会。

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名称:カトリック石垣教会

宗派:カトリック

場所:沖縄県石垣市

 

海色の屋根と黄色い壁、正面の階段は水色と白に塗り分けられ、まるで水族館ごときな外観の島の教会。

 

創立はここがまだ米国領であった1953年。

隣接するミッションスクール海星幼稚園・小学校ができたのはそれから10年後。

ミサの参加者の多くは外国籍の住民だった。

ミサ後のコーヒーサービスまで旅人を誘ってくれる、温かい教会。

 

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日本編#50 沖縄県

沖縄県那覇市。

飛行機から降り立った瞬間から南国の空気。

 

 

 

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名称:カトリック普天間教会

宗派:カトリック

場所:沖縄県宜野湾市

 

白い外壁が緑の芝生と沖縄の空によく映える。

飛行機の離着陸の経路にあたっているらしく、頻繁に頭上を飛行機が飛び交う、ある意味沖縄らしいロケーション。

献堂年、不明。

 

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日本編 #49 長崎県

本土に戻って。

長崎県は南北にも長い。

南の果ては島原半島。

海の向こうに天草を臨む半島の先端は、南島原、口之津町という。

かつてキリスト教が初めて海外より伝えられ、16世紀にはすでに数万人のキリシタンが暮らしていた地。

 

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1568年にはあったという口之津教会跡。

そこから北東へ車で10分ほど進むと、あの天正少年使節の一人、千々石ミゲルを生んだ千々石町。そしてもう10分行くと、世界遺産にもなった原城跡にたどり着く。

 

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有馬晴信、小西行長といったキリシタン大名の家臣達、38000人あまりが悪政と闘った天草・島原の乱の舞台である。

 

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過去の歴史ではない。

400年の時空を超え、十字架やおメダイ、ロザリオとともに今でも幾多の人骨が発掘されるという。

 

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